桜って今でこそ日本を象徴する花ですが、そもそもいつ頃からそういう感じになったんでしょう? そしてなんでこんなに公然と酒宴が盛大に行われるようになったのでしょう?
つまり、どんな風に日本全体に、「桜はわが国のシンボルなのだ」という認識は植えつけられたのかってことですよ。
ちょっと気になりますよね?
ではでは、行ってみましょう。
すべての始まりは暴れん坊将軍
みなさん、享保の改革って覚えてますか?たぶん中学校の歴史のテストとかででてきたはずです。これ、第8代将軍徳川吉宗が行った政策ですね。
この政策の一環で、吉宗は隅田川堤、飛鳥山、御殿山などに桜を植えたんです。
なぜそんなことをしたかって? 江戸っ子に娯楽を与えるためという目的もありましたが、それだけではありませんでした。
江戸つまり東京って地理的には水分を多く含んだ非常に脆弱な土地なんですね。東日本大震災のときも液状化がクローズアップされました。
徳川家康がこの地に江戸城を築城したときもとても大変だったんです、工事が。
そんなことを吉宗はもちろん知っていました。これ、なんとかならんじゃろか、と、彼は思ったんでしょうね。
いつ何時敵が攻めてくるかはわからないのです。きちんとした土地の整備をしなければいけないと、彼は考えたんですね。
そう、つまり土地を硬く固めたかったんです。でも今のようにロードローラーなんてありません。
あったとしても広大な関東平野を全て均すことは不可能です。そこで彼または彼の側近は考えたんですね。「そうだ、人の足で踏み固めればよいのじゃ」と。
そこで行楽地案が採用されたんですね。つまり、何かランドマーク的なものを要所となる場所において人を集めようとしたんです。
人が集まれば自然と地面は踏み固められますからね。よく考えたものです。そう、そしてそのランドマークというのが、桜だったのです。
ちなみに桜吹雪の刺青は遠山の金さんなので、そこは間違わないようにしましょう。
花の都、江戸の桜をご覧あれ
吉宗効果も手伝って、江戸では特に吉宗以降、桜の植樹がちょっとしたブームになったんですね。
江戸城はもちろんのこと、参勤交代で大名様が住んだお屋敷、庭園の跡地に今でも多くの桜木が植えられているのもその名残です。
自然に生えているわけではなかったんですね。でもなんというか、植樹なのにここまで日本の心象風景として日本人の心の中に植えつけられている桜って、あらためて本当にすごいですよね。
江戸っ子が宴が好きだったことも奏功したようですね。桜の花の元には今でもお花見でお酒を飲む人、歌を唄う人でいっぱいです。今も昔も変わらないんですね。
ちなみに有名な桜の名所のひとつの千鳥ヶ淵って、戦没者墓苑だったって知ってました?第二次世界大戦後の昭和34年のことです。
復興の一環ということもあり、国民を元気づける目的もあり、桜が植えられたんですね。
さて、どうでしたか?江戸と吉宗と桜。なんだかタモリさんに解説してほしいような内容でしたね。
これからも桜は日本人に和みと享楽を届け続けてくれるのでしょう!